餃子の歴史・ルーツは?

餃子の歴史・そのはじまりをのぞいてみましょう。

 

突然ですが餃子を食べていてふと思うランキングを発表します。

3位 正直毎日食べられるが?

2位 カロリー結構あるんだっけ?まあいいか

1位 あれ?もう一個しかない

 

と大体こんな具合だと思いますが、皆さんはこの我々の思考を完全制圧してくる餃子の都営大江戸線六本木駅より深い歴史をどれほどご存じでしょうか?

「え・・・餃子って何料理・・・?」というピュアな方でもあんしん、このページを
読めばまあまあ周囲に餃子大好きマンとして認識されるようになります。

今、餃子は様々な流通形態をとり我々の胃袋を幸せで満たし続けているわけですが、
果たして餃子はどこからくるの??キャベツ畑から??

意外や意外、とても長く深い大スケール餃子史が存在するのです!!

はじまりはメソポタミア

 

餃子のルーツはその構成食材のもつ汎用性から諸説ありますが、最も有力とされている記録は紀元前7000~6000年頃のメソポタミア北部です。今でいうイラクに該当します。メソポタミアに流れるチグリス・ユーフラテス川周辺に自生していた小麦を利用し、【皮で肉を包み加熱した食べ物】が生まれました。この時に食べられていた餃子の祖は、1959年中国ウイグル自治区トルファンにあるアスターナ古墳群(西暦200~700年代にかけて造られた貴族の墓)から非常に状態のよいものが出土しています。

そこから約4000年後の紀元前3000~2000年頃シルクロードを通り、中国へと伝わりました。そして小麦粉文化が洗練されていき、現在の形(半月状にした餃子)が出来るまでさらに一千年ほどかかりました。その正確な時期については不明のようですが、文献ではこのように推察されています。

餃子がいつから、作られ、食べられるようになったかというのははっきりしていないのですが、唐の時代頃ではないかと言われています。敦煌の遺跡から、餃子の乾燥品、いわば餃子のミイラが発見されているのです。餃子の形状的特徴である 「二つに折られている」「ひだがある」「半円形である」「尖っている」という特徴を備えていることなど、今日の餃子とほぼ同様のものが唐の時代に食されていたというのは驚きですね
キッコーマン国際食文化研究センター第54回食文化講座 https://www.kikkoman.co.jp/pdf/no27_j_012_013.pdf

 

もともと中国でも小麦栽培はされていましたが、小麦そのものは家畜の飼料として使われていたそうです。それが、人間の食用として盛んになったのが、上記のシルクロードを通じて石臼が伝わってきてからと言われています。

この小麦粉の発展により、餃子の皮を細く切りスープにいれたものが「麺料理」として派生していきます。

もちろん中国だけでなく、ユーラシア大陸全域に小麦粉の文化が伝わったため、パスタで具を包んだイタリアの「ラビオリ」や、ひき肉を厚めの皮で包んでスープに入れたロシアの「ペリメニ」、羊の肉を小麦粉で包んだトルコの「マントゥ」など世界中に餃子食が広がっていきました。

 

中国での餃子のはじまり

中国で伝えられた餃子についてもう少しふれてみると、実は餃子と言っても現在の焼き餃子ではなく水餃子が主流であったことがわかります。そしてそれは今現在も変わりません。

中国南部は豊かな稲作地帯が広がっている為、主に小麦粉料理の文化は北方で盛んにおこなわれてきました。当時の餃子の特徴は、皮が厚くひとつひとつが大きく、餡が多めに入り、その肉には極寒地方には欠かせない羊が使用されています。それをたっぷりの水で茹でて、あたたかい水餃子として親しまれてきました。当初は薬としての側面もあったようです。

諸説ありますが、初めて餃子を作ったのは漢方医学の名人であった張機だと言われています。

張機がある寒い冬の日に家へ帰っている途中、とても貧しい村を通りかかりました。その村には寒さをしのぐ衣服や体を温める食べ物もなく、村人は凍傷を起こしていました。これをみた張機は村の人を助けたいと思い体を温める漢方薬やスパイスをラム肉と一緒に煮込みシチューを作りました。そして、完成したシチューを小分けで作った小麦粉の皮で包み込み、それを温かいスープに入れて村の人々に振る舞い、冬の期間その料理を作り続けたのです。【中国の餃子】餃子は薬だった!?奥深い餃子の歴史に思わず納得 https://news.infoseek.co.jp/article/daylicious_868/

餃子はおかずではなく、それ一つで満足できる完全食として作られたのです。また中国南部系の地域では蒸し餃子が主流になります。ここからシュウマイやワンタンなどの点心文化が発達していくようになりました。地域の気候や文化などで料理法が異なり、様々なメニューができあがったというわけですね。

 

日本での餃子のはじまり

日本で最初に伝わった餃子は水餃子で、時は江戸時代にさかのぼります。明の儒学者である朱舜水(しゅしゅんすい)について水戸藩が著した「朱舜水氏談綺」によれば、1689年、福包(ふくつつみ)と呼ばれる鴨肉を使った餃子が水戸光圀(水戸黄門)に献上されたと記されています。このことから、日本で初めて餃子を食べたのは水戸黄門と言われています。

その後明治時代に入ると、中国料理の普及が一般的にはじまりますが、餃子においては蒸し餃子か水餃子がほとんどであったそうです。

一番馴染み深い焼き餃子が本格的に広まったのは比較的最近といわれ、第2次世界大戦後からとされています。中国に渡っていた日本兵が満州で食べていた餃子を、戦後故郷である栃木県宇都宮に戻った際再現したのが最初と言われています。
ここに宇都宮が餃子の町であるという発祥説がうまれるのです。中国での焼き餃子は茹でた水餃子の残りを焼いて食べるものなのですが、この時点から日本では生の餃子をそのまま焼いて食べるようになり、現在の焼餃子のスタイルが出来上がりました。また、同じ時期に日本国内に中華街が出来始めたことから色々な種類の餃子が日本に伝わり、各地に広がっていきました。

まとめ

・餃子の元祖はメソポタミア
・中国では水餃子を基本として広まった
・日本で最初に餃子を食べたのは水戸黄門らしい
・焼き餃子は宇都宮から

はるか昔のメソポタミアから餃子が存在していたとは驚きですね。

様々な世代、国々で愛されてきた餃子が今もなお食卓の一線を彩っていると考えると、なかなかロマンを感じるものです。さて今晩は餃子のルーツを話題に、笑の餃子で歴史を感じてみませんか?

 

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